ソフトボールとは
ソフトボールは、1887年にアメリカ合衆国イリノイ州シカゴで考案されました。記者のジョージ・ハンコック氏が、ファラガット・ボートクラブの体育館でクラブ員たちがボクシングのグラブをボールに、ほうきをバットに見立てて野球のまねごとに興じていたのを見て、クラブ員の冬の運動のためにルールを考案したとされています。ジョージ・ハンコック氏はこれを「室内野球」と名付け、野球よりも狭いフィールドでプレーするゲームとしてルールを発表しました。ルールは明確になっていませんでしたが、ゲームへの関心は高まっていき、1892年までに地域の高校で100以上のチームが結成されました。 冬季のインドアベースボールとして親しまれていましたが、1920年頃から屋外スポーツとして愛好者が急速に増え、1926年には「ソフトボール」という名称が用いられるようになりました。
日本におけるソフトボールの歴史
日本には、1921年にアメリカ留学から帰国した東京高等師範学校の教授である大谷武一氏や石黒寅次氏が学校体操科の遊戯として紹介し、1927年には正式に学校体育の種目に採用されました。石黒寅次氏は日本初の国際審判員であり、昭和天皇からの勲章をはじめ、総理大臣からも数々の賞を授与さています。
1933年にはシカゴのスポーツ記者らが集まり、アマチュア・ソフトボール協会(ASA)が設立され、ルールが初めて統一されました。1945年頃より盛んにプレーされるようになったとも言われており、日本でも、第二次世界大戦後に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が女性解放政策の一環としてソフトボールの普及を推進しています。 1950年に入ると国際的なスポーツとして世界各国でプレーされるようになり、1996年のアトランタオリンピックからは女子ソフトボールがオリンピックの正式種目として採用されました。