また、母屋に隣接する茶室「松雲亭」では、着物姿で庭園を散策しながらお茶を楽しむ姿がよく見られます。
その一角に、総保管点数1万を超える昭武ゆかりの品々、遺品、生活の様を撮影した写真、数々の資料などを収蔵する戸定歴史館があります。齊藤 洋一名誉館長は、この地域の歴史を情熱的に紐解き、その豊富な知識を有して戸定邸の保存、修復そして認知拡大に尽力されているのです。
徳川昭武公は、幕末から明治維新という激動の歴史の狭間に置かれ、ほとんど忘れ去られていました。しかし、この優雅な邸宅は、かつて強大な支配力を誇った徳川家の生活様式を見学し、理解することができる最も良い観光名所の一つであり、彼の残した様々な貴重な品々は歴史をしる貴重な資料として大切に残されているのです。戸定邸は、松戸市が誇る歴史的建造物なのです。
徳川昭武公 帰国までの一連の流れ
1867年11月9日:慶喜、大政奉還の建白を朝廷に提出
1867年11月10日:大政奉還の建白、受理される
1868年1月26日:昭武の元に大政奉還を知らせる手紙が届く
1868年4月8日:昭武のもとに留学続行を伝える手紙が届く
1868年4月13日:昭武を帰国させる命令が出される
1868年4月28日:昭武の長兄・慶篤、死去
1868年7月4日:昭武の元に国内情勢の報告、帰国命令が届く
1868年7月5日:昭武、帰国を決定
1868年7月16日:昭武、帰国命令への請書を出す(=帰国を受け入れたことを表明したことになる)
1868年9月6日:帰国命令が再三届く
1868年10月15日:帰国のため、パリを出発
1868年10月16日:ナポレオン3世一家に帰国あいさつ
1868年12月16日:神奈川上陸(=日本到着)
1869年2月6日:水戸藩主を継ぎ、11代藩主/当主となる
オーストラリアのラジオ局・5MUにて、弱冠18歳の若さでプロラジオDJデビュー。CMのコピーライターとしても活躍。
来日後、93年に名古屋のFM局「ZIP-FM」のミュージックナビゲーターを務めて以降、名古屋に拠点を置き、テレビ、ラジオ等、メディアの第一線で活躍を続けている。
関ヶ原観光大使、名古屋観光文化交流特命大使、近江観光大使をつとめるなど、さまざまな形で観光プロモーションの一役も担っている。