“Bリーグ” 初レポート!
プロバスケットボール “Bリーグ(B.LEAGUE)” は秋からシーズンが始まり、翌年春までレギュラーシーズンが行われます。また、Jリーグ同様にカテゴリーが3つあり、競技レベルや施設などの基準により、上から “B1” “B2” “B3” と3つのリーグに分かれています。
B1リーグは田臥 勇太選手の所属する “宇都宮ブレックス”、富樫 勇樹選手の “千葉ジェッツ”、河村 勇輝選手の “横浜ビー・コルセアーズ” など、24チームが所属。B2リーグは14チーム、B3リーグには18チームが所属しています。
今回はB3リーグに所属する “金沢武士団”(かなざわサムライズ)のレポートです。金沢武士団は金沢市を本拠地とするチームですが、石川県全域でホームゲームを行っており、練習拠点は七尾市の田鶴浜(たつるはま)にあります。
今年の元日に起こった能登半島地震で、チームが練習を行っていた “田鶴浜体育館” は避難所となり、金沢武士団は活動を休止。1月開催の試合は全て中止となりました。
選手たちは市外で個人練習を続けていましたが、七尾市内での断水解消のめどが立たず、選手の環境を整えるため、1月下旬に支援の申し出があった白山市や野々市市に練習場を一時移転。選手たちも引っ越すことになりました。
金沢武士団は2月3日からリーグ戦に復帰。様々な支援を受けて、岐阜市や大治町(愛知県)で試合を行い、ついに2月23日には地震後、初めて石川県でホームゲームを行うこととなりました。その模様をスポーツライターの小野寺 俊明がレポートします。
地震から53日、石川県でホームゲームを開催
2月23日(金・祝)、金沢武士団が能登半島地震後、初めて石川県でホームゲームを開催した。会場は小松市で、金沢からは特急で20分ほど。能登半島の輪島市からは100km以上離れており、地震の被害が比較的少なかった地域である。
玄関口となるJR小松駅は、北陸新幹線の金沢-敦賀間の開業が3月16日と間近に迫っており、駅や周辺が整備されていた。駅の東口には、小松市が創業の場所となる”小松製作所”(コマツ)が作った “こまつの杜” があり、超大型のダンプトラックや油圧ショベルが展示されていた。
試合会場は “小松市末広体育館”(通称:義経アリーナ)。スポーツ施設が集まった “小松運動公園” の中にあり、駅からは車で5分ほどの距離だ。ちなみに野球場は “弁慶スタジアム”、陸上競技場は “勧進帳スタジアム” で、源義経が奥州平泉へ落ちのびる途中、歌舞伎 “勧進帳” の舞台となった “安宅の関” が小松市にあることに由来する。
体育館を入ると、金沢駅の “鼓門・もてなしドーム” の装飾がされている。それを通り抜け、試合会場へ入る。この日はバスツアーで、被災地の七尾市からも市民が応援に駆けつけた。金沢武士団の対戦相手は “さいたまブロンコス”。B3で4位につけ、B2昇格を狙う強豪だ。埼玉からも数十人の “ブースター”(チームを熱く応援するファン)が駆けつけていた。
対戦相手から送られたエール
そのブロンコスのブースター席の後ろには、1枚のフラッグが掲げられていた。「百万石の底力を今こそ!」「頑張ろう石川、能登 がんばれ金沢武士団」と書かれていた。フラッグには寄せ書きがあり、中には「たすけあっていっしょにがんばろう」など、子どもの字もたくさんあった。
このフラッグ制作にあたって、発起人となった織倉さんは、「地震からの早期復興を祈ってブロンコス一同で作りました。先週、ブロンコスのホームゲーム会場で選手、チームスタッフ、来場されたお客さんに書いていただきました。バスケットボールを楽しむことも、まだまだ厳しいところからのスタートとなるので、最初の一歩を踏み出せる、1つの助けになればいいかなと思って」と語った。
ブロンコスは2011年の東日本大震災の際、シーズン途中にチーム活動を休止した経験を持っている。夫婦で来場していたブロンコスのブースターは今回の地震については、「あの時のことを思い出しますね。その日、試合がないとわかっていても体育館に行った人もいたんです。『やっぱり、やらないね』って。途中で終わってしまったシーズンだったので寂しかったですが、それどころではなかったので、なんとも言えなかった。」と当時を振り返った。