今の日本には外国人力士は欠かせない存在となっていますが、元祖外国人力士と呼ばれたのが元力士・高見山です。ビッグな体を活かしたダイナミックな相撲は、当時の相撲ファンを大きく沸かせることとなりました。
高見山は、1984年に相撲界を引退しています。現在は老後の生活を送っていると見られますが、元気にやっているのかが気になる所ではないでしょうか。こちらの記事では、元力士・高見山の引退後の様子について解説します。
現在の収入や住んでいる場所、家族の存在、健康状態など、高見山についての情報を詳しくまとめてご紹介します。高見山の現在とは?気になる方は、本記事をチェックしてみて下さい。
元力士・高見山の現在の姿とは?相撲界引退後の最新情報
高見山が引退してからの現在の姿について、一度確認してみましょう。現役引退から長い年月が経過していますが、高見山の現在はどのような状況になっているのでしょうか。
元力士・高見山は現在何をしている?
力士を引退した後に年寄・東関を襲名し、後々は審判委員を務めるなど、引退後も相撲界に献身的に尽くした元力士・高見山。2009年に日本相撲協会を定年退職してからは、家族と共にご自宅でゆっくり過ごす時間が増えたようです。
チャーミングな性格が世間からも好評で、現役時代からメディアに出演する機会はとても多い方でした。相撲界引退後も度々メディアに出演していました。しかし、2023年9月に放送された「徹子の部屋」への出演を最後に、TV出演を最後にしたいと本人の口から語られています。
元力士・高見山のプロフィール
元力士・高見山のプロフィールを再確認してみましょう。
基本情報
元力士・高見山は、ハワイ準州マウイ島出身の外国人力士で、本名はジェシー・ジェームス・ワイラニ・クハウルアです。相性はジェシー。しかし高見山は日本に帰化していますので、帰化後は名前が渡辺大五郎(わたなべだいごろう)となりました。
慎重192㎝、体重205kgと、豪快な体つきが目を惹きます。大相撲史上初の200kg超え力士とも言われており、当時の相撲界では異端な存在でした。
相撲界での評価
股割稽古の辛さに、涙をした際に発した言葉「目から汗が出た」は有名。ドラマでも活用され、現在でもそのセリフを用いることは少なくありません。相撲界に入った当初はとても苦労した元力士・高見山ですが、着々と昇進を続けることに。
1967年に新十両に昇進、外国人力士初の関取となります。活躍はそれだけに留まらず、1968年には幕内力士となり、1972年7月場所にて13勝2敗の好成績を残しました。幕内最高優勝を成し遂げています。
更に1973年には関脇に昇進しており、外国人力士初の快挙となります。元力士・高見山の活躍をきっかけに、外国人力士が増加することとなりました。現在の相撲界で外国人力士が強いのは、ひとえに元力士・高見山の功績だったと言えます。
元力士・高見山の現在の収入・年収は?
引退後の元力士・高見山の収入事情が気になる所ですが、現在は引退し穏やかな日常を過ごされています。力士引退後は東関部屋の創設や書籍の発売、メディアへの出演など、様々なジャンルで活躍していました。
東関部屋創設・指導
力士を引退した後は、年寄・東関を襲名しています。そのまま東関部屋を創設しており、若手力士の指導へあたりました。指導の元、小結・高見盛や横綱・曙が誕生し、高見山の指導者としての能力が評価されています。
書籍発売
1984年5月にて力士としての歴史を閉じますが、その3か月後である1984年8月には、「あたってくだけろ!高見山の泣き笑い土俵人生」を発表しました。高見山の書籍として、相撲ファンから注目を浴びることになります。
現役時代には1979年5月に「わしの相撲人生」、1983年1月に「大相撲を100倍愛して!!」、1983年9月に「高見山大五郎物語 辛抱と努力」を発売するなど、書籍は複数存在しています。
メディアへの出演
現役を引退した後も、元力士・高見山はメディアに引っ張りだこでした。日清食品や富士通のCMに登場しただけではなく、「変身忍者嵐」などのドラマにも積極的に出演。2021年にはNHKで「がんばれ高見山大五郎」と題し、ドキュメント番組も放送されています。
しかし、2023年に放送された「徹子の部屋」に出演した際に、「これでテレビに出るのは最後と考えている。」と高見山本人が発言しています。その後はメディアに露出する機会が、ほぼなくなりました。
元力士・高見山の現在の住まいは?
元力士・高見山の現在の住まいは、東京都墨田区にある元東関部屋のビルだと言われています。相撲界引退後の現在は、ゆったりとした毎日を送られているようです。
元力士・高見山の妻・息子・娘の現在は?
高見山の妻、息子、娘の現在はどのようになっているのでしょうか。