―― キャリアを重ねていく中でケガなど色々な経験もされた中で、バスケが楽しいと感じていますよね。その感覚は具体的に言えば、どんなものなのでしょうか。
田代)高校生のときは点を取るのが僕の仕事だと思っていました。でも、プロになってケガをしたり、点は外国籍選手が方が獲るようになったりして、パスをする人がいるから点が取れる、リバウンドを取る人がいるから試合に勝てるとか、チームには選手それぞれに仕事があって、個々の動きに意味があると理解してきました。
要は、1人でバスケをやっても楽しくないぞと思ったんです。もちろんチームなので、選手それぞれの価値観は違うんですよ。でも、真剣にみんなで一つの目標に向かって努力し合ったり、同じ空間にいてボールをシェアしながらシュートを決めるプロセスを歩むのが、一番楽しいと最近は感じています。

4月18日の宇都宮B戦で勝利した千葉ジェッツーJournal-ONE撮影
プロとかアマとか関係なく、バスケットボールはみんなでやるから楽しいと僕は思っていますし、一緒にやる運命共同体みたいな感覚があるから、いまもバスケを続けているのかなと思っています。
―― そうでしたか。LaLa arena TOKYO-BAYでの試合も拝見しました。客席を見ると「田代 直希」のタオルを掲げているファンの方がたくさんいますが、その光景を見て、どういう気持ちになりましたか。
田代)嬉しいですよ!初めての移籍なので、千葉ジェッツでファンができないかもしれないし、選手として厳しい評価をされるかもしれない。そんなことを少なからず思っていたので、応援いただけるのか不安ではあったんですよ。
でも、僕のタオルを掲げてる人を見たら、沖縄以外でも応援してくれる人がこんなにもいるんだっていうのを身をもって実感することができました。

地元に戻ってきた田代選手をファンは歓迎したーJournal-ONE撮影
―― 昨夏、契約発表のリリースで「この町に少しでも貢献したい」という言葉がありました。いまお話を聞いてると、自分がバスケを楽しみたいという欲求が最初にあったと思いますが、誰かのために、まちのためにバスケをする気持ちはどう生まれていったのですか。
田代)それはキングスでキャプテンを始めてからです。ただただバスケットボールを向上させる日々を送っていましたが、キャプテンになってからチームは沖縄にいる様々な方と密接に協力しあって成り立っている。スポンサーやチケットを売ってくれている方、ファンの皆さんがいて、僕たちはお給料をいただいて、アスリートとして成立している。僕たちは、いろいろな人たちの支えがあってプレーができてると身に染みて実感しました。
そんな経験を機に、プロバスケットボール選手としてユニフォームを着る以上、その支えてくださった人たちや地域に対して恩返しをするのが、僕らがやるべきことだと思っています。
ラッキーな男の夢。船橋にコートを
―― 田代選手はプロ入り後、キングスと千葉ジェッツというBリーグ屈指の大声援を受けられる環境でプレーされてきました。そんな自分について、改めてどう感じてますか。
田代)俺はなんて幸せもんなんだろうと、日々感じています。バスケットボールの競技人口が本当に多い中で、僕はプロバスケットボール選手でいられて、キングスと千葉ジェッツという人気チームを渡り歩いている運の良さ、これは奇跡でしかないですよ。

つい笑顔になってしまうエピソードを交えて進んでいくインタビューーJournal-ONE撮影
いろんな人に支えられながら僕はキャリアを歩めているので、本当に感謝をしないといけないし、前世で僕は相当な徳を積んでいると思うので、後世にも繋いでいきたいと本気で思っています。
―― 千葉ジェッツの選手プロフィールを見ると、田代選手は宝くじで1億円を当てたら、バスケットコートを作りたいと書かれています。素敵な夢だと思っているのですが、それも誰かのために、恩返しをしたいという思いからですか。
田代)そうですね。たぶん1億だとバスケットボールコートは作れないかもしれないのですけど、作りたいですね。
―― 千葉のどこに作りたいのか、イメージはありますか。
田代)代々木公園にあるようなバスケットボールコートが、めちゃくちゃ良いなと思うんですよ。公園にある聖地のような。船橋のスキルを持った人たちが集まるコートを作るとなると、船橋駅や南船橋駅あたりですかね。

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[写真]=Nobuhiro Fukami