千葉県船橋市をホームに2011年に誕生した千葉ジェッツふなばし。Bリーグや天皇杯の優勝など輝かしいタイトルとともに、昨秋より新アリーナ・LaLa arena TOKYO-BAYにホームを移し、次世代を育てる取り組みも盛んだ。今回はそんな千葉ジェッツを連載で特集する。まず、初回はチームの未来を創るユースに注目。千葉ジェッツU18に所属する関谷 間と深水 虎太郎、ユースディレクターの大久保 恭輔氏に話をうかがった。(取材日:2月17日)
千葉ジェッツユースへ…「プロになるために」

最初は緊張した様子でインタビューを開始した関谷選手と深水選手-Journal-ONE撮影
千葉ジェッツが八千代市に構える専用練習場・ロックアイスベースの会議室で、18歳の関谷 間(せきや あいま/184cm)と、16歳の深水 虎太郎(ふかみ こたろう/185cm)がバスケや勉強、夢などをざっくりばらんに語ってくれた。インタビューの冒頭、深水に関谷がツッコミを入れるなど、先輩後輩の雰囲気も良そうだ。
―― どんなきっかけで、バスケットボールを始めたのですか。
関谷)2歳上の兄の影響で、小学2年生の秋ごろにはじめました。兄が小学校でやっているクラブチームに入っていたので、見に行ったときにちょっとやらせてもらって。シュートが楽しいなと思ってバスケをやり始めました。
深水)僕は小学1年生のときに、バスケ好きのお母さんが学校でもらってきたミニバスの体験会のプリントを見て勝手に行くと電話したんです。体験会に行って、そのままミニバスへ入りました。
―― 深水選手は、生まれが愛媛でしたっけ?
深水)生まれはアメリカで。
関谷)え!そうだっけ(笑)?。何歳までアメリカにいたんだけ??
深水)8ヶ月までです (笑)。
関谷)育ちは、アメリカではない(笑)。
深水)一応、生まれはアメリカです!が、すぐに愛媛に行きました。

関谷選手も知らなかった深水選手の生い立ちについて笑顔を見せる二人-Journal-ONE撮影
今、千葉にいるので少し違和感があります。
―― バスケットボール一筋ですか。お2人とも他のスポーツの経験は?
深水)小学1年生からずっとバスケを続けてきました。他は全くしていなくて。
関谷)僕は中学2年から1年ほど、バスケと並行してラグビーのバックスをやった時期がありました。バスケで怪我したことがあって、違うスポーツをやると体の動きが変わって役に立つと父が調べてくれて、東芝ブレイブルーパス(現東芝ブレイブルーパス東京)のスクールに連れて行ってくれたんです。
―― そうだったんですね。そんな中でなぜ、千葉ジェッツユースを選んだのでしょうか。また選ぶ前には、他の選択肢もあったんでしょうか?
関谷)千葉ジェッツユースからは、トップチームでの練習参加も含めて活動できるというお話をいただきました。コーチがたくさんいて、自分の成長をサポートしてくれる練習環境があったので、もう行くしかないと思ったんです。

ユースに入った理由を話す関谷選手‐Journal-ONE撮影
進路の選択肢として(高校の)部活もありましたが、高校進学時にはそのオファーを断りました。その理由もちゃんとあって、将来的にアメリカへ留学して、向こうの大学に進学したい思いがありました。(通信制の)高校入学して(クラブチームの)Tokyo Samuraiに所属した時期もありましたが、プロになるためにどこが良いか考えて千葉ジェッツユースに入ったんです。
深水)僕は中学校2年生の冬、Jr.ウインターカップ(U15カテゴリーの全国大会)に出場して負けたあと、愛媛に帰るまでの間に千葉ジェッツユースと練習試合をしたときに、ここの存在を知りました。
進路を考えるとき、僕もいくつか部活からの誘いはあったのですが、いろいろと体験した上で、将来プロを目指しているので、練習環境を含めて自分に一番合っている環境に惹かれて愛媛から千葉に来ました。
―― 千葉ジェッツユースに入ってから、一番記憶に残っている経験はありますか。
深水)僕は、初めて高校の部活動のチームと練習試合をしたとき、留学生にマッチアップして、フィジカルの違いを肌で感じたんです。先輩たちはフィジカルの差があってもちゃんとぶつかり合って止めていたので、もっと強くならないといけないと思ったので、印象に残っています。

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[写真]=Nobuhiro Fukami