“金沢武士団” が能登に帰ってきた!
能登半島にある七尾市を活動拠点とする、バスケットボール”Bリーグ”3部に所属する金沢武士団(かなざわサムライズ)。1月1日に起こった能登半島地震で、練習所として使用していた体育館は避難所となり、活動を停止。それでも、チームは地震の翌日から炊き出しなど、避難してきた住民に寄り添いました。
その後、石川県内で被害の少なかった自治体から練習会場提供の申し入れがあり、金沢武士団は七尾市を離れ、2月にはリーグ戦に復帰。さらに、石川県の小松市や金沢市でも試合を開催することができました。そして、「必ず返ってくる」と住民に約束した七尾市への帰還はシーズン最終戦、田鶴浜体育館で初の公式戦開催という形で果たすことができました。その模様をレポートします。
<金沢武士団のこれまでの活動を振り返る>
★東京・代々木で能登半島地震復興支援のチャリティーマッチ -B3リーグ・金沢武士団
金沢武士団の本拠地・七尾市田鶴浜
4月6日、金沢からJRの特急に乗って1時間。和倉温泉駅で、”のと鉄道”に乗り換えて1駅、そこが金沢武士団の本拠地、”田鶴浜”(たつるはま)だ。ディーゼルカーを降りて、無人の駅舎に入ると、中は金沢武士団のグッズが一杯に飾ってあった。ちなみに2023-24シーズンの新体制発表会はこの駅で行われている。
例年であれば咲いている桜も今年は遅く、まだ蕾の状態。天気は良く、のどかな田舎の駅前といった雰囲気だが、駅から体育館に向かって歩き出すと、目に飛び込んでくる壊れた建物の数に言葉を失う。地震から3ヶ月が経ったが、いまだ手つかずのところも多い。
3月3日まで避難所だった田鶴浜体育館は駅から12分ほど。試合開始の3時間前だが、すでに多くの人で賑わっていた。周りには飲食店がテントを出ており、今回が地震後、初めての再開という店もあった。朝から何も食べてなかったので、かに汁とブリの串焼き、焼き牡蠣をいただいたが、どれもおいしかった。
「おかえり」。そして「ただいま」
田鶴浜体育館は小さな体育館で、「立ち見を入れても700人で満員」というプロバスケの公式戦を開催する施設ではなかったが、地震の被害を修理し、バスケットのリングは七尾総合市民体育館から運び、試合の準備は体育館を管理するスタッフや住民が手伝うことで開催が可能となった。
体育館の運営責任者である、”田鶴浜スポーツクラブ”の会長・柘植 英一さんは、試合前のコート上での挨拶で、チームに向かって「おかえり!」と呼びかけ、「年明けから、夢のような出来事が2つありました。1つは能登半島地震。夢なら覚めてほしい。もう1つは金沢武士団がこんなに早く戻ってきてくれた。夢なら覚めないでほしい」と涙を浮かべた。
試合後、柘植さんに話を聞くと、「金沢武士団さんには本当によくしてもらった。被災してから選手たちは1ヶ月間、練習もできなかったのに、不満も言わずに炊き出しなどしてくれて、住民を励ましてくれた。そういうのをずっと見ていたので、感謝の言葉しかない」と語った。
そして、「1月一杯で金沢武士団が、白山市の体育館へ移動することになったので、挨拶をさせていただきました。その時は『いってらっしゃい』という言葉で送りましたが、復興するまで金沢武士団が、この体育館で練習することはないと思っていました。それがこんなに早く戻ってきてくれるとは、本当に夢にも思わなかった。それがうれしくて」と涙の理由を話してくれた。
この日に行われた”アースフレンズ東京Z”との試合は、主力の外国人選手を欠いた中、66-89で敗戦。翌7日のリーグ最終戦も67-86と連敗。金沢武士団は、田鶴浜のファンに勝利を届けることはできなかった。それでも柘植さんは、「勝ち負けに関係なく、最後まで全力でプレーしている姿が見られた。最後まで勝とう、みんなを元気づけようという気持ちがプレーに表れていた。見ていて本当にうれしかった」と喜んだ。