36歳のベテラン、チームの精神的支柱・中村知春
一方、リオ五輪に続き、オリンピック出場をうかがうのが36歳の大ベテランで「アニキ」の愛称で、チーム内で親しまれている中村だ。もともとBKだったが、キックもでき、タックルも強くFWもプレーできる万能選手である。
中村は現在の代表選手の多くの選手が、小さい頃からラグビーボールに触れている現状とは違い、小学4年生から法政大学まで12年間、バスケットボールしていた。競技を引退後、「何か新しいスポーツを始めたい」と思い、自宅の近くで活動しているラグビーチームを見て、自ら楕円球の門を叩いた。
当時はまだ他競技からの転向組も多い時代で、ステップ、スピードに長けた中村は翌年2011年に日本代表の強化選手となり、2012年から現在まで日本代表選手として戦い続けている。
2016年、7人制ラグビーが初めて行われたリオデジャネイロ五輪では、キャプテンとして「女子ラグビーを広めたい」という強い思いを持って臨んだ。しかし、世界の壁は厚く、歴史的な1勝はできたものの、12チーム中10位に終わった。そして、続く2021年東京五輪では、チームが戦術を変更し、さらにスペシャリストを重用したことで中村は最後で落選するという憂き目にあった。
それでも2022年、悔しさを胸に秘めつつ中村は、コーチ兼任ながら再びサクラセブンズに戻ってきた。最初はコーチに軸を置くのかと思ったが、そうではなかった。選手として進化を止めることなく、5月のシンガポール大会では「ドリームチーム」に選出された。
中村は「(36歳までプレーすることは)想像つかなかったですが、キャリア的にも1年1年を必死に生きていたら、この歳になっていた(苦笑)。東京五輪以降はボーナス期間で、2年間でチームを立て直して、その後は行けるところまで行こうと思っていました。自分が残りたいというチーム作りをしてきたし、チームの力になれる自信もあります」と自分に言い聞かせるようにいった。
集大成となるパリ五輪で結果を残す
中村にとってパリ五輪はこの12年間、サクラセブンズ、そして女子ラグビーにすべてを捧げてきた集大成となろう。「いつ、サクラセブンズを離れても頑張ったなと思えます。オリンピックの舞台に立つことができたら、家族も含めて、今まで支えてくださった人に感謝を伝える大会にしたい。最後まで見てもらえたらなと思います。ポジティブに終わりたいですね」。
過去2大会、オリンピックを前にした時期は「焦りがあった」というが、現在では、チーム、そして自分に対して冷静で落ち着いているという。中村は「サクラセブンズの”ハート&ソウル”になって、リーチ マイケルさんのように泥臭くやれば、勝利に貢献できる」とオリンピック本番を見据えた。
男女ラグビーの日本代表は7月4日に発表され、8日には記者会見が行われパリ五輪に臨む新ジャージーもお披露目される予定だ。サクラセブンズは、12カ国が出場するパリ五輪ではフランス、アメリカ、ブラジルと同組となった。予選プールで2勝すれば間違いなく決勝トーナメント進出できる。
平野、中村2人が、パリ郊外の”サン・ドニ”にある”スタッド・ドゥ・フランス“のピッチで躍動した先にこそ、サクラセブンズ初のメダル獲得が待っている。
パリ五輪男女ラグビー日程 @スタッド・ドゥ・フランス
・7月24日(水)男子予選プール(12試合)