35の末寺を持ち、全国にその名を轟かせた東漸寺は、明治時代に入っても、明治天皇が皇室の永遠の繁栄を祈願する勅願所に指定されました。しかし、明治時代の神仏分離令により、全国の寺院と同様に東漸寺も多くの重要な建造物を失うこととなったのです。
日本各地、とりわけ関東地方における歴史と格式のある寺院では、大きな火災や、関東大震災、第二次世界大戦の空襲などで多くの寺院が焼失、倒壊する中、東漸寺はまさしく最後の古刹として当時の原型をとどめているのです。
東漸寺は実際に訪れることで、現在の鈴木住職をはじめとする歴代の住職の方々が、建造物や境内の保存と伝統の継承に努め、地域の人々に愛されている寺院だということが分かります。
東漸寺は今も変わらず地元の人々に愛されている寺院であり、年間を通してさまざまな行事や、四季折々の表情を見せる境内の庭を愛でるために参拝する方が絶えません。
4月になると参道は桜並木が色付き、花見の名所となります。また秋には、紅葉が色付くと、さらに多くの参拝客や紅葉を愛でる人々で賑わうのです。本殿前の樹齢340年の見事なしだれ桜、樹齢400年の鶴亀の松をはじめ、境内には梅、紫陽花、もみじが植えられ、日本の伝統的な四季の美しさを感じることができるオススメのスポットです。
東漸寺の美しさについて語るには、古刹の参道の突き当たりにある本堂を紹介せずにはいられません。旧近江の国の名工たちによる手彫りの欄間の壮麗な装飾に囲まれ、頑丈な光り輝く金泊に装飾された柱がそれを支えています。
絢爛豪華な本尊の上を覆う優雅な曲線様式の天井には、それぞれ異なる姿勢の龍の絵が描かれています。すべてが最高級の優雅さと文化を示唆しているのです。
寺院の建築、歴史、文化、すべてが重要な雰囲気を醸し出している東漸寺。静かで穏やかな街・松戸市では、徳川家の崇高な歴史も感じられる場所なのです。
オーストラリアのラジオ局・5MUにて、弱冠18歳の若さでプロラジオDJデビュー。CMのコピーライターとしても活躍。
来日後、93年に名古屋のFM局「ZIP-FM」のミュージックナビゲーターを務めて以降、名古屋に拠点を置き、テレビ、ラジオ等、メディアの第一線で活躍を続けている。
関ヶ原観光大使、名古屋観光文化交流特命大使、近江観光大使をつとめるなど、さまざまな形で観光プロモーションの一役も担っている。