貴重な大学生活をコロナ禍に翻弄された世界中の大学生、中でも対話を礎とする “ノーサイン野球” で全国を席巻しようとしている和歌山大野球部員にとっては、とてつもなく大きなビハインドであったに違いない。
しかし、山本主務は笑顔で、「元々寮がない大学ですので、選手同士では “コミュニケーションを取る時間は積極的に作る” という風土があるのです。唯一全部員が集まる遠征や大会での移動、ホテル滞在の時間を有効に使っています。学年、ポジション、性格などを考慮してスタッフが部屋割りを決め、絆や理解がより深まるような工夫もしています。常にみんなで声を掛け合う雰囲気があるので、コロナ禍にも負けずにノーサイン野球を続けていけたのだと思います」と、”和大野球部マネジメント”の根底にある「無駄を省く」がパンデミックでも有効に働いたと話す。
「敬意を払うことが前提ですが、上下関係が厳しくないために良い関係が築けていることも“ノーサイン野球”に適した環境だと思います。私は一年次、コロナで先輩方と会話をすること自体が少なかったので、4年になった今は積極的に会話をすることを心がけています。もっと先輩方と話す機会があれば、野球の知識や理解を早いうちから深められたと感じているので、野球についての対話を欠かさないように日々を過ごしています。チームメイトとして後輩たちとも良い関係を築けたらと」と話す長岡選手からも ”和大野球部マネジメント” を継承する最上級生としての矜持が感じられた。
自信と信念を持った最上級生二人だが、その成長に欠かせなかったのは大原監督との出会いだと話す。
「人として学ばせていただいたことはもちろんですが、大原監督の考えの深さと広さに触れることができて本当に良かったと。監督が考える野球部の活動にある根幹は、大学が目指すものと合致しているので、大学から多くの支援をいただきながら野球ができています。高校生との合同練習も、地域の野球環境の変化に対応しながら互いを高めていく重要な取り組みであることを続けることで理解できました」と、大原監督との出会いが自分自身を成長させてくれたと話す山本主務。
「日本一を目指す環境に身を置かせていただいたことで、自分の将来にも大きな目標ができました。私は、大阪の高校で全国を目指していましたが、強豪校ひしめく大阪で “本当に日本一を目指しているのか?” と気持ちの面で矛盾がありました。しかし、選手スカウティングや練習環境など制限が多い中で、自主的にいかに勝つかを考えて練習に打ち込める環境を作っていただいている大原監督には感謝しかありません」と、大原監督のマネジメントで人生が転換したと長岡選手も同調する。
秋の明治神宮大会への出場に向け、集大成となる最後の夏を過ごすお二人に、その後の夢を教えてもらうと、やはり “和大マネジメント” の影響を強く受けていた。
「大原監督は日頃私たちに、”人を残すような人間になれ” と言われます。その言葉のとおり、将来は僕が教わったことを伝えていくためにも教員になりたいと思っています」と話す山本主務だが、既に東京の企業に内定をもらっている。
大原監督は、「私が 30代、40代のときに教えてもらってきたことを10代、20代の選手たちに還元しています。社会に出たときに即戦力になれるような力を付けて欲しい」と、選手たちとの対話に時間を割いている。
そのため山本主務は、「何れは教員になるつもりですが、まずは社会に出て色々な経験を積み、大原監督のように多くの引き出しを作り、子どもたちに何かを残せるような教師になりたいのです」と、真っ直ぐな目で一般企業に就職する理由を教えてくれた。