ラグビー日本代表がオールブラックスと対決
10月26日(土)に神奈川県・日産スタジアムでラグビー日本代表は、ワールドカップで3度の優勝経験を持つ世界的強豪の “オールブラックス” こと、ニュージーランド代表と激突する。
そのオールブラックスが試合前に披露するパフォーマンスとして “ハカ”(haka)は世界的に有名で、日本のスポーツファン、ラグビーファンでも好きな方は多いだろう。今回のコラムではこのハカについてを詳しく解説したい。
ハカは先住民族マオリ族の伝説に由来
ハカはニュージーランドの先住民族であるマオリの言葉で、「ダンス」という意味を持つが、ハカは一般的なダンスのイメージとは少し違う。もともとハカは集団で行われ、声を出して詩歌をうたう詠唱と、踏み鳴らす足音や、手の動き、顔のジェスチャーなどの動作でも表現される。
ハカはマオリ族の伝説に由来するもので、神話によると太陽神タマヌイトエラと、夏を司る女神ヒネラウマティとの間に息子のタネローンが生まれた。夏の間、タネローンは母親のために踊り、暑い日に地平線に現れる空気の震えを引き起こしたという。ハカでは、この様子が震える手のジェスチャーで象徴されており、これは多くのハカでよく見られる。
伝統的にハカは、他の部族を歓迎する際に踊られていたが、戦士たちが戦いに向かう際の士気を高める役割も果たしていた。それは身体能力を示すものであり、文化的な誇り、強さ、団結を体現するものでもあった。ハカは部族や地域によって異なり、多くのハカは部族の歴史における重要な出来事を物語っているという。
現在ではハカは敬意の印として用いられ、スポーツイベント、結婚式、葬儀、伝統的な歓迎式などで披露されており、ニュージーランドでも高校やプロのラグビーチームなども独自のハカを持っている。
オールブラックスのハカは “カ・マテ” と “カパ・オ・パンゴ”
そして、オールブラックスが披露するハカは現在 “カ・マテ”(kamate)と “カパ・オ・パンゴ”(kapaopango)の2種類あることで知られている。
日本ではTVのCMにも起用されたことがあり、マオリ語で「私は死ぬ」という意味を持つカ・マテ。今から約200年前、ンガティ・トア族の族長テ・ラウパラハが、敵対する部族の捕虜になるところを逃れ、別の部族に匿われて、地下のクマラ(サツマイモの畑)に隠された。
カ・マテは、テ・ラウパラハが逆境を乗り越え、クマラの穴の暗闇から光の中へと抜け出した様子を描写している。「kamate(私は死ぬ)、kaora(私は生きる)」と暗闇の中でテ・ラウパラハが叫んだ言葉だという。
テ・ラウパラハはその後も困難を乗り越えて、偉大なマオリ族の首長兼戦士となり領土拡大に貢献した。この不屈の精神が、オールブラックスに重なっている。
それでは、オールブラックスがいつからハカを始めたのか。定かではないが、少なくとも1905年の英国遠征では、「カ・マテ」を踊ったと記録されており、1916年にはハカが試合前に披露されることが定着したという。
現在のようなパフォーマンスのスタイルになったのは1985年ごろからで、その当時のマオリの選手たちが、オリジナルに近いスタイルに変えていったと言われている。ちなみに現在のようなピラミッド型のフォーメーションになったのは、2015年のラグビーワールドカップのアルゼンチン代表戦からだ。
もうひとつのハカは「黒衣のチーム」を意味するカパ・オ・パンゴだ。比較的新しいハカで、その名の通りオールブラックス独自のものだ。2005年のトライネーションズ(現在のラグビー・ザ・チャンピオンシップ)で、ダニーデンで行われた南アフリカ代表戦の前に作られた。
このハカは、1924年にオールブラックスが無敗を誇ったヨーロッパ遠征中に作られ使用したハカ “コ・ニウ・ティリニ”(KoNiuTirini/ニュージーランドの嵐)の最初の節を変更して、作曲家でアーティストのデレク・ラルデッリ氏によって考案された。
ニュージーランドラグビー協会によると、カパ・オ・パンゴは1年以上の歳月をかけて制作され、マオリ文化の多くの専門家と協議を重ねて作られた。これはカ・マテの代替ではなく補完的なものであり、「特別な機会」に用いられると説明している。