コロナ禍を乗り越え、徐々に日常が戻ってきたゴールデンウイーク。
待ちわびた大切な人との出会い、思い出に残る旅など、多くの人たちが笑顔で行き来する姿が徐々に戻ってきました。非日常を求めて海外旅行に行く人たちで賑わう国際線の搭乗口を報道するニュースを見るのも久しぶりです。
誰でも気軽に海外に渡航できる現代から遡ることおよそ90年前の5月4日、日本の平和のため海路で世界中を渡り歩いていた1人の偉人が死去した日であることを知っていましたか?
その人の名は、柔道の創始者であり、オリンピック参加を契機にスポーツを日本に根付かせた “日本体育の父” でもある嘉納治五郎師範です。
世界を股にかけた “柔道の父”
1882年(明治15年)の講道館設立から僅か7年後の1889年(明治22年)には、ヨーロッパ諸国を巡って柔道の普及活動をされていた嘉納師範。
1912年(明治45年)、日本が初参加したストックホルム オリンピックに日本選手団長として参加した嘉納師範は、日本でのオリンピック開催を実現させるため、1936年(昭和11年)東洋初の国際オリンピック委員会(IOC)委員として、第12回オリンピック大会の開催地を決める投票地・ベルリンへ渡航しました。
近代オリンピックはすべての国や民族に解放されるべきであり、アジアでオリンピックを行なうことは新たな平和への一歩になるはずと訴えた嘉納師範に共感したIOC委員たちの票により、東京オリンピックの開催が決定しました。
1938年(昭和13年)、エジプトのカイロから「日本国民に東京オリンピックの開催が決定したことを報告します。スポーツでの戦いを通して、お互いを尊敬し、信頼する心が世界中に広がれば、きっと平和な世界をつくることができるだろう。」とラジオ放送で日本国民に報告をした嘉納師範。
その後、各国のIOC委員を訪問し、カナダのバンクーバーから帰国するために乗船した氷川丸の船中にて肺炎によりこの世を去りました。享年77。
当時、77歳という年齢にもかかわらず海路で世界中を奔走し、世界平和のために柔道を始めとするスポーツをすることの大切さを説き続けたそのバイタリティは、講道館・上村春樹館長へのインタビューで見せていただいた絶筆からも感じ取ることが出来ます。
嘉納師範が眠る墓所
嘉納師範の墓所があるのは、千葉県松戸市にある東京都立八柱霊園。小高い丘とその谷間につくられた公園墓地である八柱霊園は、105ヘクタール(約1万平方キロメートル)東京ドーム約20個分の面積に相当する広大な霊園です。
その一角に、石造りの鳥居と石碑に囲まれ、石を積み重ねてドーム状にしたようなお墓があります。これこそが嘉納師範が眠る場所なのです。
八柱霊園のある千葉県松戸市は、1867年(慶応3年)に第15代将軍・徳川慶喜の名代として日本使節団を率いて渡仏し、第2回パリ万国博覧会に日本を初参加させた徳川昭武公の別邸・戸定邸(国重要文化財)が現存する地でもあります。
それぞれ困難な時代に海外へ赴き、現代日本の国際化を切り拓いた2人の偉人が時を経て重なり合う不思議なご縁も感じる場所ですね。
毎年、墓前祭には多くの柔道関係者が訪れます。今年の墓前祭が行われた5月2日、上村春樹・講道館第5代館長を始めとする30人近くの皆さんが参加した墓前祭を取材!
嘉納師範が広めた柔道が、多くの柔道家たちによって世界中で親しまれている理由が垣間見える取材となりました。
柔道家にとって大切な日
綺麗に整えられた緑豊かな植木、色鮮やかな献花、抜けるような青空のコントラストが特別な日を演出する中、上村館長が玉串を置いて静かに祈りを捧げると、参加者が次々と後に続きます。
「ここ嘉納師範の墓所は、柔道家にとってとても神聖な場所です。そして、命日の5月4日は柔道家にとってとても重要な日です。今日、墓前祭に参加できなかった柔道家たちも時間を見付けては師範の下を訪れます。柔道の日本選手団は、オリンピックや世界選手権に出場する際、嘉納師範にお参りして健闘を誓います。」と、上村館長が話してくれました。
この後、5月7日からカタールのドーハで開催される世界柔道選手権に向かう上村館長。「どんなに忙しくても、この墓前祭には参加します。コロナ前は年10回ほど海外へ行っていましたが、現在は2ヶ月に1回くらいの頻度なのでまだ楽ですよ(笑)。」
2ヶ月に1度の海外渡航でも十分大変だと思いますが・・・ 本当に柔道家の皆さんのバイタリティには驚かされます。世界の柔道を正しく普及振興し、後世に正しく柔道を伝えていくという嘉納師範の思いは、弟子たちに確りと引き継がれているのですね。
「始めて嘉納治五郎師範のお墓に来ました。とても感動的な出来事です。」と話してくれたのは、フランスから来た柔道家のRaymond-Yves Cairaschi(レイモン・イヴ・カレシ)さん。
わざわざフランスから来日して、嘉納師範の墓所を訪れる。それほど魅了される柔道の魅力を知りたいと言うことで、話を聞かせていただきました。
Youは何故、柔道を?
この日、墓前祭に参加していたのは、カレシさんとJean Claude Blouin(ジャン・クロード・ブルアン)さん。共に73歳とは思えないバイタリティある姿に驚きます。
4月29日に日本武道館で開催された、令和5年全日本柔道選手権大会を観るためプライベートで来日したとのこと。その後、日光の東照宮や中禅寺湖を巡って、この日(5月2日)の墓前祭に参加するというハードスケジュール!
それでも、「ちょっと疲れましたね。」と笑って話すカレシさんに疲れの色は見えません。
早速、柔道歴を聞いてみますと、ノルマンディ出身のブルアンさんは「5歳から柔道を始めました。きっかけは、幼稚園で”ライバル”に殴られて泣いて帰ったことなんです。家に帰って父に殴られたことを話すと、父からも “なんでやられたんだ!” と殴られた(笑)。それで直ぐに柔道を始めました。」と笑いながら教えてくれました。
カンヌ出身のカレシさんは、「私は10歳から柔道を始めました。柔道家だった叔父さんが父に薦めたことがきっかけで道場に通い始めたんです。ここまで続けられたのは、そこで出会った素晴らしいコーチのお陰だったと思います。」と懐かしそうに当時を振り返って話します。
「当時、柔道場に行ったら学校で”ライバル”だった子が先に入門していて “えっ!?” と思ったのですが、色々と柔道の技や練習のやり方を教えてもらっているうちに仲が良くなって・・・それからは良き友人になったんです。」と柔道が育んだ友情のエピソードも教えてくれました。
「17歳の時、私たちは共にフランスのナショナルチームに入りました。それからの付き合いです。当時はベルリンの壁があった時代で、東側諸国と交流するなんて想像することも出来ませんでした。しかし、フランスが東ドイツ、オランダと交流試合をすることになり、東ドイツに入国して試合をしたことがあるんです。それが一番印象に残っていますね。」と2人の友情と当時の印象的な出来事をカレシさんが話してくれました。
国家間の対立があっても、スポーツはそれを超越して人と人との交流を実現する。嘉納師範がオリンピックを日本に誘致して、平和な世界を作ろうとしていた思いが実現していたということなんですね!
73歳の今まで続けている柔道の魅力とは?
現在73歳というカレシさんとブルアンさん。半世紀以上も柔道に携わっている魅力について聞いてみました。
「柔道からは “人を尊敬すること” を学びました。また柔道を通じて、友情にも恵まれとても偉大な方たちと会う機会もありました。競うことが中心であった柔道を終えた後、素晴らしい師匠に出会い、何回か講道館に連れてきてもらい、柔道のスピリットを学ぶことができました。それが一番大きいですね。」と、カレシさんは時を経て新たな柔道の魅力に出会った歴史を話します。
「パン屋だった父に、“将来は柔道の先生になりたい。” と話したところ、”先ずはパンづくりの資格を取得しなさい。その後は好きにすれば良い。“ と言ってくれたので、パン職人になる資格を取り、ノルマンディからパリに出てINSEP(後述)で柔道を学びました。」と、ブルアンさんも柔道に魅せられてパリに来たことを振り返ります。
「その後、私は柔道をしていた縁で警備会社に就職しました。ボルボのCEOやルイ・ヴィトンの子孫のボディガードをしていました。そして、Bernard Jean Etienne Arnault※(ベナール・アルノー)さんのボディガードをするときに自分の警備会社を作ったんです。10年ほど前に会社をリタイアし、今は柔道に関する仕事だけをしています。」とブルアンさん。
※現モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトンの会長兼CEOで “フランス・ファッション界の帝王” と呼ばれる世界屈指の大富豪
柔道が想像も出来なかった素晴らしいご縁を結び、ブルアンさんをずっと柔道に携わられてきた運命を感じます。
INSEP(インセップ)で学んだ指導者の道
ブルアンさんとカレシさんが共に学んだINSEPとはどんな組織なのでしょうか?
1945年に設立されたFrench National Institute of Sport, Expertise, and Performance(フランス国立スポーツ体育研究所)、通称INSEPは学業、トレーニング、スポーツ医科学を融合したフランスを代表するエリートアスリートの強化拠点。パリのヴァンセンヌの森の中心部にある28ヘクタールの並外れたキャンパス内にある様々な施設を使い、オリンピック・パラリンピックに出場するトップアスリートたちのトレーニングセンターの拠点としては勿論、フランスのエリートスポーツ政策における大きな影響力を持つ研究所なんです。
選手個々に適したトレーニングプログラム、医療、研究、メンタルヘルスを提供すると共に、トレーニングや競技指導者の育成なども行っているこの研究所で、柔道の指導者としての道を切り拓いたのですね。
「私たちが学んだINSEPでは、柔道は常に礼儀正しくするということを教わりました。そして、友情、セルフコントロール、謙虚さを学び、相手を尊敬するということにたどり着きます。柔道はスポーツを超えたものであり、人生における教えそのものであることを、指導者として子どもたちに伝えていくことが何よりも重要だと考えています。」と、柔道の教えと目的を話すカレシさん。
「フランスの子どもたちと日本の子どもたちが柔道を通じて心を通わせることも柔道を教える上で重要なことですので、フランスの子どもたちを連れて来日することもあります。」と、柔道による国際交流の教育プログラムがあることをブルアンさんが教えてくれました。
「“オー・シャンゼリゼ” というフランスの歌がありますが、この歌に合わせ子どもたちに柔道の”体捌き”を教えるプログラムがあるんです。“たいさばき” と “オー・シャンゼリゼ” との語呂が良いし、リズムも練習に丁度良いテンポであると言うことで、講道館から派遣された専門家が紹介してくれたのです。」と、カレンさんが歌いながら説明してくれます。
「その後しばらくして、その日本の指導者がフランスに行くと、フランスの子どもたちに “た~い さ~ばき~(お~ シャンゼリゼ~)” と歌いながら練習することが定着している姿を見て驚いていました。」と、互いの文化を融合させた子どもたちとの楽しいエピソードに、温かい気持ちになりました。
ちなみにこの日のお二人の墓参の橋渡しをされたのが“オー・シャンゼリゼ体捌き”を開発された講道館総務部次長向井幹博七段。その奇縁を聞き,あらためてこの墓参参加への感謝と感動を感じられておられました。
「私たちと同じ時代に切磋琢磨し、1975年の世界柔道選手権で金メダルを獲得たJean-Luc Rouge(ジャン・ルック・ルージェ)さんも国際柔道連盟の事務総長として活躍しています。また、私たちと同じINSEP出身のフランス柔道界の至宝・Teddy Riner(テディ・リネール)選手※をサポートしたこともあります。彼が13歳の時から知っていますよ。オリンピックも3大会をサポートしました。」と、フランスの柔道家たちが幅広く後進の育成に力を注いでいることも教えてくれました。
※2008年のオリンピック北京大会・銅メダル、2012年のオリンピックロンドン大会・金メダル、2016年のオリンピック・リオデジャネイロ大会・金メダル(いずれも100kg超級)、2022年のオリンピック東京大会・金メダル(混合団体)と輝かしい成績を誇る
夢はまだまだ続く
「もう来日は10回目。競技中心の柔道をしていた時代の1973年には3ヶ月間日本に滞在し、天理大学(奈良県)と東海大学などを回って試合を行いました。その道中で京都や奈良も観光しましたね。」と、豊富な来日経験を話すカレシさん。
夢は、「これまでは3年に一度のペースで来日していました。でも2年後には75歳の節目を迎えるので、2年後にまた来日したいですね。色々な先生にお会いしたいです。と、2年後も元気で来日することが身近な目標だと話してくれました。
「私たちの師匠であったGuy Pelletier※(ギ・ペルティエ)先生は、65歳で定年退職を迎えようと思ったとき、師である安部一郎 講道館柔道十段が80歳を過ぎても指導されている姿を見て85歳まで柔道を続けられました。ですから、私たちも同じように柔道を続けていきたいですね。」とブルアンさんも笑顔で夢を話してくれました。
※安部十段のもと、講道館柔道の精神を深く研究し、フランス柔道の発展に尽力したパイオニアとして知られる柔道家
そもそも、講道館柔道の最高段位は十段。これまでに十段を授与された柔道家は僅かに15人しかいないのです! そのうちの1人である安部十段は、戦後間もない頃から講道館から派遣され、フランスを始めとする欧州各国を訪問し、今の国際柔道の発展に多大なる功績を残した柔道家。
実は、この日フランス語の通訳をしていただいた方が安部十段のご息女・田中博子さんで、柔道が日本とフランスの友好をこういった形で紡いでいることにも驚きです!
「父はフランスから多くの柔道家たちを日本に招き、我が家に滞在させていました。仕事で出掛けた父の代わりに、私たち家族がお世話をしたり日本を案内したりしているうちにすっかり友だちになってしまって・・・ そんなご縁が今でも続いていて、今回もホームステイして墓前祭に参加して頂いているんです。でも、さすがに2日間で日光まで行って帰ってくるのは疲れたようです。一番気に入ったのは父も好きで行っていた近所の銭湯で、毎日通っています。(笑)」と、昨年ご逝去された父・安部十段が培った日仏柔道の絆を引き継がれていることを教えてくれました。
上村館長ら柔道界を牽引する柔道家たちが集った嘉納師範墓前祭。皆さんの素敵な笑顔を見て、嘉納師範も世界の柔道を正しく普及振興し、後世に正しく柔道を伝えていく門下生たちを素敵な笑顔で見つめているのではないでしょうか。
Journal-ONEでは講道館にご協力をいただき、来る2024年のパリオリンピック・パラリンピックに向けて、世界で愛されている柔道の魅力をシリーズで紹介していきます。