「フランスの子どもたちと日本の子どもたちが柔道を通じて心を通わせることも柔道を教える上で重要なことですので、フランスの子どもたちを連れて来日することもあります。」と、柔道による国際交流の教育プログラムがあることをブルアンさんが教えてくれました。
「“オー・シャンゼリゼ” というフランスの歌がありますが、この歌に合わせ子どもたちに柔道の”体捌き”を教えるプログラムがあるんです。“たいさばき” と “オー・シャンゼリゼ” との語呂が良いし、リズムも練習に丁度良いテンポであると言うことで、講道館から派遣された専門家が紹介してくれたのです。」と、カレンさんが歌いながら説明してくれます。
「その後しばらくして、その日本の指導者がフランスに行くと、フランスの子どもたちに “た~い さ~ばき~(お~ シャンゼリゼ~)” と歌いながら練習することが定着している姿を見て驚いていました。」と、互いの文化を融合させた子どもたちとの楽しいエピソードに、温かい気持ちになりました。
ちなみにこの日のお二人の墓参の橋渡しをされたのが“オー・シャンゼリゼ体捌き”を開発された講道館総務部次長向井幹博七段。その奇縁を聞き,あらためてこの墓参参加への感謝と感動を感じられておられました。
「私たちと同じ時代に切磋琢磨し、1975年の世界柔道選手権で金メダルを獲得たJean-Luc Rouge(ジャン・ルック・ルージェ)さんも国際柔道連盟の事務総長として活躍しています。また、私たちと同じINSEP出身のフランス柔道界の至宝・Teddy Riner(テディ・リネール)選手※をサポートしたこともあります。彼が13歳の時から知っていますよ。オリンピックも3大会をサポートしました。」と、フランスの柔道家たちが幅広く後進の育成に力を注いでいることも教えてくれました。
※2008年のオリンピック北京大会・銅メダル、2012年のオリンピックロンドン大会・金メダル、2016年のオリンピック・リオデジャネイロ大会・金メダル(いずれも100kg超級)、2022年のオリンピック東京大会・金メダル(混合団体)と輝かしい成績を誇る
夢はまだまだ続く
「もう来日は10回目。競技中心の柔道をしていた時代の1973年には3ヶ月間日本に滞在し、天理大学(奈良県)と東海大学などを回って試合を行いました。その道中で京都や奈良も観光しましたね。」と、豊富な来日経験を話すカレシさん。
夢は、「これまでは3年に一度のペースで来日していました。でも2年後には75歳の節目を迎えるので、2年後にまた来日したいですね。色々な先生にお会いしたいです。と、2年後も元気で来日することが身近な目標だと話してくれました。
「私たちの師匠であったGuy Pelletier※(ギ・ペルティエ)先生は、65歳で定年退職を迎えようと思ったとき、師である安部一郎 講道館柔道十段が80歳を過ぎても指導されている姿を見て85歳まで柔道を続けられました。ですから、私たちも同じように柔道を続けていきたいですね。」とブルアンさんも笑顔で夢を話してくれました。
※安部十段のもと、講道館柔道の精神を深く研究し、フランス柔道の発展に尽力したパイオニアとして知られる柔道家
そもそも、講道館柔道の最高段位は十段。これまでに十段を授与された柔道家は僅かに15人しかいないのです! そのうちの1人である安部十段は、戦後間もない頃から講道館から派遣され、フランスを始めとする欧州各国を訪問し、今の国際柔道の発展に多大なる功績を残した柔道家。
実は、この日フランス語の通訳をしていただいた方が安部十段のご息女・田中博子さんで、柔道が日本とフランスの友好をこういった形で紡いでいることにも驚きです!
「父はフランスから多くの柔道家たちを日本に招き、我が家に滞在させていました。仕事で出掛けた父の代わりに、私たち家族がお世話をしたり日本を案内したりしているうちにすっかり友だちになってしまって・・・ そんなご縁が今でも続いていて、今回もホームステイして墓前祭に参加して頂いているんです。でも、さすがに2日間で日光まで行って帰ってくるのは疲れたようです。一番気に入ったのは父も好きで行っていた近所の銭湯で、毎日通っています。(笑)」と、昨年ご逝去された父・安部十段が培った日仏柔道の絆を引き継がれていることを教えてくれました。
上村館長ら柔道界を牽引する柔道家たちが集った嘉納師範墓前祭。皆さんの素敵な笑顔を見て、嘉納師範も世界の柔道を正しく普及振興し、後世に正しく柔道を伝えていく門下生たちを素敵な笑顔で見つめているのではないでしょうか。
Journal-ONEでは講道館にご協力をいただき、来る2024年のパリオリンピック・パラリンピックに向けて、世界で愛されている柔道の魅力をシリーズで紹介していきます。