祝 パリ・パラリンピック出場!!
パラリンピック東京大会(以下、東京2020)で銅メダルを獲得した “車いすラグビー” 日本代表。2016年のリオデジャネイロ大会に続いて銅メダルに輝いた自国大会は、コロナ禍で無観客試合となりましたが多くの皆さんがテレビの前で応援しました。
車いすを激しくぶつけ合う攻防や、鋭いチェアワークでボールを運ぶ選手の姿をテレビで初めて見て、車いすラグビーに魅力を感じてファンになったという人たちも増えましたね。
そんなファンたちの声援を受け、東京・渋谷にある東京体育館で行われた “2023ワールド車いすラグビー アジア・オセアニア チャンピオンシップ(以下、AOC)”。今年の7月2日、ライバルのオーストラリア代表を下してこの大会を制した車いすラグビー日本代表は、優勝の対価としてパラリンピック・パリ大会(以下、パリ・パラリンピック)への出場権を早々に獲得しました!
10月18日から22日にかけては、その前哨戦ともいえる “2023 International Wheelchair Rugby Cup(以下、IWRC2023)” も開催され、日本代表が一足早くパラリンピック開催地に乗り込みます。世界屈指の実力を持つ選手たちですが、日本でどういった活動をしているのかが気になるところですよね?実は皆さん、北海道から沖縄までの全国にある9つの国内クラブチームに所属して日々その実力を磨いているのです。
今回、Journal-ONEは “祝・パラリンピック出場権獲得” 企画として、国内クラブチームの練習に潜入! 普段中々観ることの出来ない練習風景や、選手やスタッフのみなさんの素顔を紹介していきます。
国内クラブチーム・TOHOKU STORMERS
2017年、「東北に車いすラグビーを根付かせたい!」という思いで設立された “TOHOKU STORMERS(以下、ストーマーズ)”。昨年度、車いすラグビー日本一のチームを決める国内最高峰の戦い “車いすラグビー日本選手権” で準優勝に輝いた東北唯一の強豪クラブチームです。
JR東京駅から東北新幹線(なすの、やまびこ)に乗ること約80分。東北の玄関口・福島県は西白河郡西郷村にある新白河駅で下車しました。秋空に映える駅舎を後に車で20分ほど西へ進んだところ、福島県勤労障がい者体育館が今回の取材場所となります。この日は2日間にわたって行われるストーマーズのチーム練習1日目。車いすが激しくぶつかり合う様がメディアで紹介され、“マーダーボール” と呼ばれる激しいスポーツに興じるアスリートたちは、どのような人たちなのでしょうか。
チーム創設にかけた思い
「自分の住んでいる東北にチームを作り、東北の人たちにもっと車いすラグビーを知って欲しかったんです。」と話すのは、チーム創設に尽力した庄子 健選手です。庄子選手は、2016年リオデジャネイロ・パラリンピックの銅メダリスト!現在でも、チームの主力としてストーマーズで活躍する現役選手です。
「庄子の思いを聞き、2年間ほど構想を練りながらチーム作りに奔走しました。」と話す三阪 洋行選手は、当時日本代表のアシスタントコーチとして、“後進を育てる役割” にやりがいを感じ、その活躍の場を求めていた時期でした。「庄子に続く、パラリンピアンが “いつか” このチームから出ればいいなぁと思っていましたが、ご縁に恵まれて “こんなに早く” その構想が実現するとは(笑)。」と優しい笑顔で話します。
“こんなに早く” というのも、現在のストーマーズのメンバーには、東京2020で銅メダルを獲得した中町 俊耶選手、橋本 勝也選手の2名のメダリストが所属しているからなのです。特に橋本選手は、東北は福島県三春町の出身。中学2年生の時にストーマーズの三阪選手、庄子選手から車いすラグビーを紹介されてこの競技にのめり込んだ橋本選手は、ストーマーズでその才能が開花!今では日本代表の主力選手として活躍するスター選手です。
三阪選手が話す “恵まれたご縁“ に庄子選手が、「もっと(連盟に)感謝されても良いんじゃないかって思いますよ(笑)。」と、橋本選手と出会った時のことを懐かしそうに話してくれました。
「私たちの “東北に車いすラグビーの文化を根付かせたい” という思いに賛同し、東北在住の選手たちや中町選手たちが早々に集まってくれたお陰でチーム創設が実現できたのです。また、本当に有り難いことに、私がお世話になっているバークレイズ証券がチームスポンサーとしてサポートしてくれています。これにより、チーム練習の会場費や遠くから来る選手たちの遠征費、宿泊費を補助して活動が続けられているのです。」と、三阪さんは多くの人への感謝を口にします。
パラリンピアンは元高校球児 -中町 俊耶選手
卓越したボールハンドリングと俊敏なチェアワークで、東京2020の銅メダル獲得に貢献した中町 俊耶選手!パリ・パラリンピック出場を決めたAOCにおいては、連戦続く過酷な日程をものともせずに韓国代表を攻守にわたって完全に制圧しました。
特筆すべきは中町選手のスローイング力。高く浮き上がる軌道や、鋭く相手のチェアの間を抜ける軌道など、スローの種類の豊富さに加えてコントロールの良さはミドルポインターでは随一。
「高校時代に野球で培ったボールを扱う能力や体力、精神力が車いすラグビーにも活きています。」と、その技術の源は高校球児時代にあることを教えてくれた中町選手。中町選手は、埼玉県高校野球の強豪・本庄第一高校野球部で3年間、投手や外野手などで活躍した元・高校球児なんです。
「野球に力を入れている学校ではありましたが、練習時間は決して長くなくメリハリある高校生活を送っていました。こういったスポーツに取り組む姿勢を高校時代に学べたことも、今の競技に役立っていると思います。」と、決して野球だけの高校生活ではなかったと思い返す中町選手。こういったメリハリある高校生活を過ごしてきたからこそ、インタビューにおける豊富な表現力や練習中に見せる仲間をリラックスさせる振る舞いができるのですね。
IWRC2023代表として、渡仏間近な中町選手は、「そこに向けて調子を上げてきているので、体調はとても良いです。AOCでパリ・パラリンピックの出場権を得られたことで、日本代表チーム内には色々とトライする機会が増えています。新ヘッドコーチの岸さん(AXE・岸 光太郎選手)の戦術をチームで共有していく時間もありますし、IWRC2023では新しい代表選手(FUKUOKA DANTELION・草場 龍治選手、安藤 夏輝選手)が代表を経験する機会を得ることもできました。」と、次世代の明るい未来についても話を聞かせてくれました。
シンデレラボーイの尽きない向上心 -橋本 勝也選手
福島県三春町に住む、橋本選手も中町選手と同じく東京2020銅メダリスト!AOCでは獅子奮迅の活躍を見せた橋本選手は、日本代表の優勝に貢献した “次代の日本を背負って立つ選手”。現在は、アスリート選手として日興アセットマネジメントに所属していますが、つい最近までは地元・三春町役場に務めていたという生粋のご当地選手です。
「僕は小学校、中学校と部活動をやってこなかったんです。当時、車いすバスケットボールにも挑戦したのですが、手指の障がいがバスケットボールを扱うには難しくて、ちょっと向いていないなぁと感じていました。そんな中学2年生の時に、庄子さんと三阪さんが車いすラグビーの普及に来てくれて、そこで初めて車いすラグビーを知ったんです。」と、車いすラグビーとの “思わぬ出会い” を振り返ります。
その年は奇しくも、リオデジャネイロ・パラリンピックで車いすラグビー日本代表が銅メダルを獲得。その銅メダリストの1人である庄子さんとお互いの地元である東北の地で出会ったというドラマのような展開なのですが、当時の橋本選手は車いすラグビーの存在を知らなかったとのこと。
「最初は、こんなに激しく危険なスポーツをやるなんて “クレイジー” な人たちだなぁ・・・と思っていたんです。それが、プレーしているうちにどんどん自分がのめり込み、結局私が “クレイジー” になってしまいました(笑)。」と、ストーマーズに加入してその才能を開花させ、僅か数年で世界屈指のハイポインターにまで駆け上がったシンデレラストーリーを教えてくれました。
IWRC2023では、初の副主将に指名された橋本選手。次世代の日本代表を背負っていくことを期待されていることが良く分かりますが、「試合中では先輩にもしっかりと自分の意思を伝えないと、良いプレーができません。特に副主将になってもゲーム中でのパフォーマンスは変わりませんが、コート外などで、自分がどういったリーダー像を造っていくのかを考える良い機会をいただいたと思っています。」と、自分を磨く向上心は尽きることがありません。
“日本車いすラグビー界の顔” としてメディアへの露出が増えている橋本選手ですが、「自分が注目されることで、車いすラグビーを知っていただく機会が増えることは有り難いのですが・・・」と前置きした上で、「僕たちの競技は、“支える人” の力があってこそ成り立つ競技。今日の練習も、準備をしれくれるスタッフの力が無ければ成り立ちません。試合中の激しいコンタクトで転倒しても、スタッフの助けがないと起き上がれません。」と、“支える人” にもスポットが当たることを願います。
「先のAOCでは、本当に多くのボランティアの方々の力があったおかげで試合ができて、優勝することができました。こう言った活動も含めて車いすラグビーの魅力を知っていただきたいのです。」と、試合結果や戦績だけでない。みんなで作る競技の魅力を伝えたいと話してくれました。
フォーカスした課題を効果的に克服
「この練習は、トライした直後に相手がコートに投げ入れるボール(インバウンド)を敵陣内で積極的にディフェンスして奪うための練習なんですよ。」と、取材陣に笑顔で丁寧に説明してくれます。
コートの1/4を使い、4人のライン(コート上4名の合計点が8点以内となるように編成されたチーム)がフォーカスポイントにしっかり集中できるように反復練習を重ね、1/2、全面と徐々に制約を外していく効果的な練習を取り入れているストーマーズ。
コーチを兼ねる三阪選手が、プレーごと更なる改善ポイントをメンバーに伝えると、すかさず中町選手を中心に互いの視点から確認。コミュニケーション力とチームプレーのスキルを同時に引き上げていく効率的なメニューは三阪コーチが考案したメニューです。
先ほど練習の意図を教えてくれたスタッフが、スマートフォンでプレーを撮影しながらホイッスルをテンポ良く吹いています。ボールを小脇に抱え、テキパキと動き回るこのスタッフは渡邊 萌衣さん。今年オープンした北海道日本ハムファイターズの話題の本拠地・” エスコンフィールドHOKKAIDO” がある北海道北広島市出身の新加入スタッフなのです。
今年加入したとは思えないほどプレーを良く知っていて、練習サポートの手際も良い!聞くと、「実は私、2018年からストーマーズを応援し続けているファンだったんです。」と、取材陣納得の自己紹介を即座にしてくれました。「東京の大学に通っている時、アルバイトをしていた焼き肉店に、JAPANのジャージーを着た日本代表の選手たちが食事に来たんです。それで、なんの競技なのかな?と興味を持って見ていたら、車いすラグビーの日本代表で。そこから試合を観に行くようになったんです!」と、今まで知らなかった車いすラグビーに “一目惚れ” した出会いを教えてくれた渡邊さん。
渡邊さんの大学での専攻は健康福祉だったこともあり、車いすとJAPANのジャージーの装いに “ビビッときた” のも頷けます。“観る人” から “支える人” に立場が変わった渡邊さんは、観る角度が劇的に変わったと言います。「応援しているときは、ボールを運ぶハイポインターに目線が行っていましたが、スタッフ側に回ると相手のオフェンスを40秒耐え忍んでターンオーバーするような戦略的なプレーに目が奪われるようになりました。」と、車いすラグビーの “ツウな魅力” 教えてくれます。
「試合では中々観ることの出来ないシーンを撮影することを心がけています。ストーリーは短くなければ観ていただけないので、とにかく15秒以内で “これは!” というシーンを見付けては公開しているんです。」と、奥深い動画を頻繁に公開しているストーマーズInstagramの極意も教えて貰いました。
他チームとの助け合いで技術を磨く
昨年から車いすラグビーの魅力を一から伝えようと、埼玉を本拠地とするAXE(アックス)に密着して取材もしてきたJournal-ONE編集部。東京・お台場にある日本財団パラアリーナで行われたAXE練習の取材でお見かけした選手にようやく取材をすることができました。
「千葉県に住んでいるので、ストーマーズの練習がない土日は、都内で練習している他のチームに混ぜてもらって練習しているんですよ。」と、爽やかな笑顔が印象的な今野 匡人選手が、都内で良くお会いしたご縁の理由を教えてくれました。
フルタイムで勤務をしながら競技を続ける今野選手は、中町選手や橋本選手といった日本代表の選手たちとプレーするため、「平日は夕方から家の近くで自主トレをしたり、週末にAXEさんのなどの練習に参加させてもらったりと、工夫しながらパフォーマンスを上げるよう努めています。」とのこと。
自分の時間を殆ど車いすラグビーに捧げている今野選手ですが、「バスケットボールが好きで、この前のワールドカップはAXEの乗松(隆由)選手と観戦しました!乗松選手とは仲が良くって、家に泊まりに行ったりもしています。」と、Journal-ONEがAOCで解説をお願いしたAXEの乗松 隆由選手とのエピソードも教えてくれました。
「今シーズンは、チームのスターターとして試合の流れを作る役割を与えられています。日本代表の橋本、中町の動きを助けるプレーで彼らが波に乗れるようにすることが僕の役割。全体練習という貴重な機会にコミュニケーションを良く取り、彼らが望む動きが自然と出来るように集中して取り組んでいます。」と、話す今野選手は、練習の合間に中町選手と積極的に会話。中町選手の身振り手振りに頷いては、いろいろな動きを試していました。
感慨深い “東北ライン” の復活
課題にフォーカスした反復練習で、“肩慣らし” が終わったストーマーズの選手たち。いよいよ、ミニゲームが始まりました!
「”東北ライン” とそれ以外で!」と、三阪選手の指示でチームが二つに分かれます。東北在住の庄子選手(宮城県)、橋本選手(福島県)と共にチームを組む2人の選手、熊崎 敬選手と岩淵 鋼選手は岩手県に在住するストーマーズの創設期メンバー。8月5日と6日に東京都江戸川区で開催された “第25回 車いすラグビー日本選手権予選 東京大会” では、新型コロナウイルス感染症拡大前以降、久しぶりのストーマーズ復帰という明るいニュースをもたらした二人なんです。
「コロナ禍で県外に出ることが難しい中(日本で唯一感染者ゼロを岩手県が保っていた頃)、地元のツインバスケットボールで身体は動かし続けていました。」と話す熊崎選手ですが、日本代表の橋本選手の攻撃を抑えるハードなディフェンスの練習に息が上がります。しかし、苦しいながらも楽しそうな表情で黙々とフォーメーションを確認し続ける献身的な姿がとても印象的な選手です。
「正直、またこうやって車いすラグビーが出来るなんて想像できませんでした。」と、言葉少なげに恥ずかしそうに話してくれた熊崎選手ですが、練習に臨むその眼は終始充実感に溢れる力強い眼差しでした。
「やはり、車いすラグビーのぶつかり合うプレーは爽快感がありますね。」と話す岩淵選手も、ようやく戻ってきた日常の喜びを噛みしめています。「私も、地元のツインバスケットチームで身体は動かしていました。今や日本が誇る名選手に成長した橋本選手を活かせるよう、しっかりとサポートできるプレーが出来るよう頑張ります。」と、東北ラインの完全復活に嬉しそう。
「実のところ、復活は無理なのかなぁと思っていました。それだけに、この “東北ライン” を見るとグッとくるものがあります。」と、庄子選手もチーム創設の象徴であるこの光景を再び目に出来る喜びを噛みしめていました。
憧れの選手を慕って
「私が事故に遭って直ぐ、国立障がい者リハビリテーションセンター(埼玉県所沢市)で中町さんとお会いする機会があって、それで車いすラグビーを知りました。」と、教えてくれたのは若狭 天太選手。
「当時、“これからどうやって生活していけば良いのだろう・・・” と途方に暮れていたときに、車いすで颯爽と現われて『大丈夫!何でも出来るようになるから!』って言って、サッと帰って行った中町選手の存在感に圧倒されたのです。あぁ~この人本当にカッコいいなぁって思い、私も車いすラグビーを始めたんです。」と、憧れの選手を追いストーマーズの門を叩いた若狭選手の笑顔は充実感に溢れています。
「まだまだ勉強です。中町選手に少しでも追いつけるよう、側で色々なことを吸収していきたいです。」と話す若狭選手。チームの期待も背負い、三阪選手や庄子選手、そして憧れの中町選手から色々とアドバイスを受ける若狭選手の顔は真剣そのもの。持ち前の運動神経と旺盛な探究心で、あっという間にストーマーズに無くてはならない選手になっていくこと間違いなしです。若狭選手の今後の活躍に注目です!
「私も、国立障がい者リハビリテーションセンターにいる時に車いすラグビーの存在を知りました。中町さんのカッコいいプレーを見て、自分もやってみたいと思いました。」と話すのは、関 卓也選手です。ストーマーズでは希少なローポインターである関選手。練習序盤は練習に参加していましたが、途中からコート外でチームの動きを目で追うことが多くなりました。
「実は肩を痛めてしまい、現在リハビリ中なんです。日本選手権に間に合うように一生懸命リハビリしています。」と話す関選手は、茨城県鹿嶋市から片道3時間かけて今日の練習に参加しています。怪我が癒えない中、わざわざ練習にやってくる理由を聞くと、「地元ではなかなか練習をする機会が無くて、家の前の道路で自主トレをしています。都内に出るのも1時間半はかかるので、他のチームの練習に参加するのも難しいです。ですから、月に一度のチーム練習は本当に貴重な機会なんです。」と笑顔で答えてくれました。
無理ないように関選手をサポートしていたのは那須野 利喜さん、栃木県在住のメンバーです。「私は、宇都宮市内で障がいを持つ子どもたちの “放課後等デイサービス” で働いているんです。ですから、都内での活動には余り参加できないんです・・・」と、とても謙虚に話す那須野さんのお仕事は作業療法士。
「患者さんの日々の生活に必要な応用的動作・社会適応能力の回復を目指したリハビリが主ですので、理学療法士とは違うんです。」と、資格の特徴を教えてくれた那須野さんですが、練習中に強ばった関選手の上半身をストレッチでほぐしたり、タイヤの交換に走ったりと、リベロのような活躍を見せていました。こういった、“支える人” の八面六臂の助け合いもストーマーズが標榜する “東北に車いすラグビーの文化を根付かせる” ひとつなのですね。
ストーマーズの選手を応援しよう!
「日本代表、元日本代表、フルタイム勤務で働く傍らでプレーする選手など、多くのバックボーンを持つ選手が集まるのがクラブチームの特徴。ですから、それぞれの能力が十分に発揮できるよう、チームでの役割を与えたり練習内容を工夫したりしながら、チームのレベルを上げていくのですよ。」と話す日本パラリンピック委員会のアスリート委員会・委員長も務める三阪さん。アスリートの “競技環境の改善” “キャリアトランジション” “人間力の形成” を大テーマに取り組んでいる経験をチーム運営にも活かしていこうとしています。
実は三阪さん、10月20日から26日にかけて中国・杭州で開催されているアジアパラ競技大会の期間中に “アジアパラリンピック委員会アスリート委員” の選挙に立候補しているのです!大会競技ではない車いすラグビーの元選手が立候補するのは前例のない “チャレンジ” となりますが、競技認知・普及の拡大はもちろん、2026年に愛知で開催されるアジア大会を控えていることも考えると、是非とも当選して欲しいところです。
また、先ほどから紹介しているIWRC2023(10月18日∸22日)には、中町選手と橋本選手が出場し、その活躍をオンライン中継でも観ることができます。
そして、来年の1月12日から14日にかけては、千葉県の千葉ポートアリーナでクラブチームの日本一を決める “第25回車いすラグビー日本選手権大会” では、昨年度の準優勝を上回る “優勝” を目指しストーマーズは進み続けます!
パリ・パラリンピックまで1年を切った今、皆さんも個性豊かな選手やスタッフたちが笑顔いっぱいに活動している車いすラグビー・クラブチーム “TOHOKU STORMERS” を応援してみませんか?
今後の詳しい情報は、ストーマーズのInstagramなどでチェックしてみてくださいね。