これを聞いて「なるほど。こういった、日本人では当たり前の所作も教えていく必要があるんだ!」と気付き、すぐに映像化することにしました。
その所作のあと、脱いだ草履を端に寄せる映像を加えました。「次に道場に上がる人のために、靴を端に寄せて脱ぐ場所を空けておくのです。そういったさり気ない気遣いが大事だ。」と説明を加えて、共同の映像教材として完成させ、世界に発信しました。
“言葉で指導して学ぶ” ことも大切な修行ですが、言葉に頼らず映像からも教えを伝えて学んでいただくことで、こういった日本人では当たり前で気付かないことでも漏れなく指導することが出来ると気付かされました。また、映像は拡散することで世界中の人々に共有してもらえますしね。
また、問答による修行も世界中に広がってきています。日本で問答をした内容が、遠く離れた海外で全く同じ問答をしているケースを耳にすることが増えてきました。「あれ? 日本で問答した内容と一緒のことを言っているぞ。」って(笑)。
少し前までは、海外の国際大会で選手が勝つと礼をせずに畳に寝転がって喜んでいるようなシーンや、逆に負けると大泣きしているといったシーンが見られました。
しかし、私たちがそれを見た試合会場で、「礼をする前に畳に寝るとは相手に失礼だ。」「自分を律することが出来ず感情を露わにしない精神力も修行で養う必要がある。」と問答し続けていたところ、最近では、国際柔道連盟の方々が「試合が終わった後の振る舞いが大事だ」と言うようになり、こう言ったシーンを見ることが少なくなってきました。
映像で教えを広げる、問答による口伝えで教えを広げる。実際に講道館に来ることが出来ない方々へも、着実に普及活動は進んでいると実感しています。
日本の未来を創る柔道
―地域課題の解決策としてスポーツの力を活用しようという声が高まっています。特に、少子高齢化に伴い地域スポーツの未来をどうするかが議論されています。日本が誇る柔道が地域スポーツの未来にどういった貢献ができるとお考えでしょうか―
私を含めた講道館の指導員たちは、定期的に日本全国の道場を訪れています。子どもたちの日常に触れ、普段の姿を見るためです。子ども達を指導する場面では、子ども達の純真な眼差しと柔道に打ち込む熱心さに驚かされることがあります。
オリンピック金メダリストである谷本歩実さん(2004年アテネオリンピック、2008年北京オリンピックの63kg級で金メダル)が指導をしたときに、子ども達の熱がどんどん高まっていって、最後には谷本さんに密着するように指導を聞いていたシーンは忘れられません。
また、講道館は大阪にもあります(講道館大阪国際柔道センター)。ここでは、東京まで来ることの出来ない子ども達の指導を行っています。今後は、中学校の部活動の地域移行のモデルケースとなるべく、地域とも連携して柔道に触れる機会を増やしていけるようなことも考えています。
―最後に、柔道を始めとするスポーツファンの皆さんにメッセージをお願いします。―
私はいつも “盡己竢成(おのれをつくしてなるをまつ)” という嘉納師範の言葉を使わせていただいています。自分の全精力を尽くして努力した上で、成功・成就を待つという言葉です。
力を尽くし切っていないのに失敗を運のせいにしてはいけない。幸運を望む前に、まず自分の力を尽して、失敗したとしても不運を嘆いて努力を止めずに、さらに勤勉と辛抱を怠らずに成就を待つということです。自分にも常に言い聞かせています。
嘉納治五郎師範の最期の書「精力善用」と共に記念撮影をしました。
嘉納師範は、1938年(昭和13年)にエジプトのカイロで行われたIOC総会に出席してオリンピックの東京大会誘致活動をされました。その後、各国のIOC委員を訪問した際にカナダのバンクーバーで書かれたものです。バンクーバーから氷川丸に乗り、帰国直前の5月4日に肺炎で帰らぬ人となった嘉納師範の年齢は77歳でした。
当時の77歳は相当なご高齢であったはずですが、その年齢で書いたとは思えない力強さの中に柔らかさのある素晴らしい筆です。
Journal-ONEでは講道館にご協力をいただき、来る2024年のパリオリンピック・パラリンピックに向けて、世界で愛されている柔道の魅力をシリーズで紹介していきます!