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1964年 東京オリンピック以来の国内での夏季大会開催となった東京2020大会。

多くのアスリート達が夢や感動を与えてくれました。

一方で、二度にわたる招致活動、新型コロナウイルス感染症の影響による一年の延期、大々的な感染症対策を行った初めての国際大会の運営と、多くの困難に立ち向かう大会でもありました。

東京2020から1年の節目を迎えた今、Journal-ONEはスペシャル対談を企画。

Journal-ONE編集長が、日本スポーツ政策推進機構(以下、NSPC)の遠藤利明理事長にお話を伺いました。

聞き手:厚地純夫(Journal-ONE編集長)

東京2020を振り返って

-早いもので東京2020からもう1年が経ちました。今振り返ってみて最初に思うことはどんなことでしょうか。-

ため息の出るような「よくやれたなぁ」という感想です。

思い起こせば2020年3月24日に東京オリンピック・パラリンピックの1年程度の延期を決めて、それから本番までの1年と数ヶ月間でひたすらコロナ対策を練ってきました。

言い換えれば、2020年4月頃には開会式など既に7~8割の準備は終わっていたので、そこからどうコロナ禍の中で開催するか、コロナとどう対峙していくかを考えてやってきました。

終わった瞬間を今振り返っても、「やったぁ」という拳を突き上げるような感じでは無く、ため息の出るような「大過なく出来たことに安堵している」という思いですね。

-誘致活動も苦難の連続だったと思います。東京2020、ラグビーワールドカップ2019の誘致活動に携われてきた一番の想い出もお聞かせ下さい。-

負けたこと。やはり負けたときの想い出が強いですね。

2016年のオリンピック誘致に負けた、2009年10月のコペンハーゲンでのIOC(国際オリンピック委員会)総会ですかね・・・とても寒くてね・・・

決定する日に、オバマ大統領が立候補していた地元・シカゴを応援するために来ましてね。米国大統領が突然来たものですから、交通規制が敷かれて一気に大渋滞!(両車線が規制されて60台以上の大渋滞が発生)ギリギリ開票に間に合って結果を聞いたら、最初にシカゴが落選して・・・あの渋滞は何だったのかってね。(笑)

石原慎太郎東京都知事(当時)は飛行機で泣いたなぁ。もうこんな悔しい思いはしたくないと言って。

石原さんは、2011年3月11日14時35分に都議会で都知事選への再出馬を表明されて、その記者会見を見るために、谷垣自民党総裁(当時)と私、石原伸晃さんと3人で自民党総裁室に集まっていたら14時46分に東日本大震災が起きた。これも忘れられません。

勝ったラグビーワールドカップでの印象は、2015年のロンドン大会期間中ですね。

森さん(森喜朗 当時:ラグビーワールドカップ日本招致委員会会長)が2015年のロンドン大会期間中、関係者を集めて40分位スピーチしたんです。

ラグビーの招致は最初から最後まで森さんに尽きる。凄いバイタリティで誘致して、史上最多の延べ170.4万人の入場者数を集め、新たなムーブメントを巻き起こしましたよね。

ギリシャ・オリンピア市のヘラ神殿跡で行われた東京2020オリンピック聖火採火式に立ち会ったことが想い出かなぁ。

ギリシャ国内での聖火リレーが、コロナ禍で2番目の野口みずきさんで中止になったりと、東京2020一連の想い出・・・

たくさんあり過ぎて、話が尽きない。一番を選べませんね。(笑)

-ラグビーワールドカップ2019と東京2020、大きな国際大会を開催するために、相当な準備をされていたと思います。-

準備という話では、私が文部科学副大臣を拝命した2006年まで遡ります。

この年、トリノオリンピックで日本選手団の惨敗がきっかけとなりました。女子フィギュアスケートで荒川静香さんが金メダルを取ってくれましたが、メダルの獲得数はその荒川さんの金メダル一つ・・・

なぜ、日本はこんなにも急に勝てなくなったんだろう。日本のスポーツを盛り立てていくにはどうすれば良いのだろうと。

そう考えて、河野一郎さん(元ラグビーワールドカップ2019組織委員会事務総長代行、NSPC代表理事)に座長をお願いし、勝田隆さん(東海大教授)にも来て貰って、6~7人でスポーツ振興に関する勉強会を開催したのがスタートでした。

勉強会の結論は、スポーツ振興には国がしっかり支援する必要があるねと。支援する裏付けとなる法律が必要なるねと、そして「スポーツ基本法」の制定に至るわけです。

1961年に制定させた「スポーツ振興法」というスポーツ行政の基本法があったのですが、これは学校体育の延長であって、スポーツと言うよりも学校体育の振興を図るものでした。

因みに、体育とスポーツの違いって何だと思いますか?

-う~ん。改めて質問されると答えられませんね。-

昔は、先ず体育があり、その脇にスポーツという遊びの概念でありました。

その時代の概念で作られた法律ですので、「プロスポーツは支援しない」と書いてある。

プロ野球、相撲は「スポーツ」では無く、「興行」ということなんですね。

また、障がい者スポーツのことは一切考えられていないですし、女性のスポーツも発想すら無かった。スポーツビジネスについても記載が無いんです。

世界は、これら全てがスポーツ振興の下で実施されています。

故に、徐々に日本のスポーツが衰退し始め、結果的にトリノで荒川静香さん一人しか金メダルが取れなかったという訳です。

今までは、企業が宣伝のためにお金を出してくれていた。また、選手本人、コーチ、指導者が身銭を切ってやって来た。それで結果を何とか出してきたのですが、企業スポーツが停滞し始めた1990 年代以降、300 もの企業スポーツチームが休部・廃部によって消滅したんです。

景気の悪化が一番の原因でしたが、行政の問題も浮上したんです。やはり、国や行政が責任を持って支援するシステムを作らないといけないという結論になったんですね。

地域貢献や健康増進、集団行動の訓練など、スポーツの持つ力は大きい。地域を活性化して国際貢献の役割も果たしている。故に、スポーツの振興は、国の政策として重要なんです。

と言うことで、「スポーツ基本法」を作り、その後にそれを執行する組織が必要となるため「スポーツ庁」の創設を考えた。

しかし、当時は行政改革の時代でしたので、省庁の新設なんて全くだめという風潮でした。

それで、国や行政が支援する確固たる理由が必要となり、東京オリンピック・パラリンピックの招致活動に着目したのです。オリンピックはスポーツ振興のきっかけとなる重要なピースだったのです。

2013年9月にブエノスアイレスで開催された国際オリンピック委員会(IOC)の総会。

2020年夏のオリンピック開催を決めるプレゼンテーション前に安倍首相と、オリンピックに勝つにはスポーツ庁が必要だよね。選手強化を頑張らないとね。ということで、7~8月の間この準備に追われていましたね。

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