1964年 東京オリンピック以来の国内での夏季大会開催となった東京2020大会。
新型コロナウイルス感染症の影響で、一年の延期や無観客での競技開催など、前例の無い大会運営となる中、多くのアスリート達が夢や感動を与えてくれました。
東京2020から1年の節目を迎えた今、Journal-ONEはスペシャル対談を企画。
Journal-ONE編集長が、日本オリンピック委員会(JOC)の山下泰裕会長にお話しを伺いました。
聞き手:厚地純夫(Journal-ONE編集長)
東京2020を振り返って
この質問にきちんとお答えすると、一時間くらいは掛かってしまうのですが・・・(笑)
先ずは、大会の1年延期が決まったときのことが浮かびます。
スポーツに限ったことではありませんが、人生には予想しないことや自分ではどうしようも出来ないことが起きるものです。
しかし、この1年の延期は本当にアスリートにとって余りにも大きな影響を与えました。競技人生が終わってしまうアスリートがいた一方で、新しいチャンスの機会に恵まれたアスリートもいました。
東京2020大会に向けて、全ての力を集中させてきたアスリート達の気持ちと、私や瀬古さん(男子マラソン・瀬古利彦氏)も経験したモスクワオリンピックのボイコットの時の感情が重なりましたね。
モスクワオリンピックに向けてコンディションを最高の状態にし、それに全てを賭けてきて出場することができなかった。やはり、あのときの私や周りのアスリート達の感情が蘇ってきました。
この時は、「人生において、自分の力ではどうしようも出来ないことが色々起きてくる。それを受け止めて、アスリートとしてだけではなく人生の次を目指していくと言うのは大事なのかなぁ。」と思った記憶も蘇ってきました。
同時に、東京2020に向けて調整するアスリート達に対してケアをし続けたことも思い浮かびました。
当時は、安全・安心な大会運営に向けて体制を一から整えていく最中でしたので、感染症の拡大や医療機関逼迫の懸念から大会開催に消極的な報道が多く出ていました。
アスリート達に対して「出場しないで欲しい。」という意見や、アスリートの「東京2020に出たい。」という発言に非常に批判的な意見も多く見られました。
私が知る限り、他国・地域のアスリート達は大会で良い成果を得るため、練習に集中できる環境を提供されていました。そのような中で、日本のアスリート達は「本当に練習をやって良いのだろうか?」と疑問や不安を感じたり、或いは練習をしても後ろめたい気持ちになったり、不安な日々を過ごしていました。
そのため、延期の1年間で2回、アスリート達とオンラインでの意見交換会を行い、コロナ禍で大会を目指すアスリートをサポートしたことが思い起こされました。
国際オリンピック委員会(IOC)にはとても勇気付けて頂きました。
私が身近で見ていて人間として非常に信頼しているトーマス・バッハさん(IOC会長)。
私が毎回お会いする度、バッハさんは「山下、東京2020に向けて日本のアスリート達の準備はどうか?調整は上手く進んでいるか?」と日本代表選手の心配ばかりされていました。
東京2020の成功には開催国のアスリートの活躍が不可欠。開催国のアスリートが活躍しなければ盛り上がらない。その重要な役目を担っているんだぞと。私に発破を掛けて励ましてもらいましたね。
はい。日本代表選手団「TEAM JAPAN」はスタートダッシュが上手く行きました。それによって後に続くアスリート達が余りプレッシャーを感じず活き活きと競技をしてくれました。
大会期間中は毎日、IOCと組織委員会(東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会)でミーティングがありました。
そこでの最初の2日間くらい、バッハさんは「山下、おめでとう。」と声を掛けてくれていました。
しかし、3日目を過ぎますと「日本に頑張ってくれとは言ったけれども、全部(メダルを)持って行けとは言っていない。他の国に対する配慮も必要じゃないのか?」なんて。(笑)
これは多分に柔道のことを意識して言っていたのだと思います。男女14階級で9個の金メダル。アスリート達は多くの困難の中、本当に信じられない活躍をしてくれました。
東京2020は、アスリート達にとっては過去例を見ない程の制限がある中での大会となりました。オリンピック村と競技会場、練習会場以外はほぼ移動出来ない中で、海外のアスリートにも多くの負担を掛けてしまいました。